仕事の関係でiPhone5を改めて持つことになったため、改めてiPhone5用のケースを購入しました。某アニメのキャラグッズをネットで注文したわけですが、実はこういったケータイアクセサリの供給というか、入手機会の安定性が、iPhoneとAndroidでは大きく違うな、ということを常々感じています。
原因は簡単です。iPhoneは基本的に年次モデルであること。一つの製品が広く市場に供給されるため、関連するアクセサリも1つの企画である程度の需要が見込まれる。当然、そこには市場原理からコストが投下され、面白い製品や、マニアックな製品も含めた、綺羅びやかなマーケットが形成されると。つまりは、iPhoneとは、こうしたアクセサリのプラットフォームになっている。
つまり、iPhoneってそれ自体がアクセサリとしての特性を持っていると言えると思います。
例えば腕時計。高級な腕時計や可愛い腕時計、機能性に優れた腕時計がいろいろありますが、結局iPhoneもその機能性もさることながら、持っていることによるステータスというか、アクセサリ性が高い製品になっていると思います。
案外、Apple製品はこの傾向が強いと感じる。スタバでMacどや、とか、まぁあまり流行る話でも無いですが、Macはそれを使うこと自体にステータスを感じる瞬間があります(まぁ、信者的発想であることは否定はしません)。これは他のPCでは感じられないものです。強いて言えば、VAIOとかはそういう雰囲気があったかもしれないです。
この辺のブランド力というか、製品戦略が、やっぱりiPhoneは違うんだな、と感じます。
性能云々ではなく、持っていることにステータスを感じることができる製品って、やっぱり素敵だと思います。まぁ、そこは個人の趣味趣向のあるところだとは思いますが、個人的には、やっぱり、iPhoneは持つこと自体にも、価値があると感じてしまう。
例えばXperia Z3。あれは工業製品としての美しさがあると感じます。そういう「機能美」と呼ばれるような要素が、最近の工業製品にはやっぱり重要なのかな、と感じています。
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