昨晩のバルス祭りは、オワコンの始まりか。

ブログ

バルス!

2016/1/15、バルス祭り。なんだか今回はメディアが煽ったりなんだりで、むしろツイート数が減ったとか・・・。

Twitterユーザーの“バルス離れ”か? 秒間バルスツイート数の記録更新ならず、前回から半減

当然ながら、この流れに対する反対意見なども多數ありますが、なんていうか、過去何度も繰り返されてきた、「メディアがオワコンを生み出す」流れに乗ってる気がして気になります。

まず、「バルス」とは何かといえば、「天空の城ラピュタ」のクライマックスで主人公が叫ぶ滅びの言葉で、この放映タイミングに合わせてTweetするという自然発生的な事象があり、このTweetの勢いが凄いということで話題になっているものです。

重要なのは、「放映に合わせて」というところ。「バルス」はコンテンツではなく、「天空の城ラピュタ」というコンテンツから派生した一つの事象でしかない。これを「バルス離れ」などと評するのは愚の骨頂というか、そもそもの観点が間違っている。

つまり、この膨大なTweetに繋がる背景・プロセスこそに意味があり、最終的なTweet数なんてのは結果としての切り口でしかなくて、その数が凄いってことは、一つの切り口としては正しいんだろうけど、本質ではないです。評価されるべきは「天空の城ラピュタ」です。原点に帰れば、みんな「天空の城ラピュタ」が好き。みんなでテレビ見てて、盛り上がってきて、そこで主人公たちのセリフ「バルス」でシンクロする、という現象ですよね。

おそらく、これ、原因の一つには、メディア等がこの事象を「煽った」ことによって嫌気がさしたユーザーは少なからず居ると思います。ただ、これも一つの切り口でしかない。

まず、そもそもテレビ見なくなってきてますよね。この時間にラピュタ見てる人ってのがそもそも減ってるのではないか、ということ。次に地デジ化。デジタル化されたことで、多少ですが、視聴環境によって遅延が発生します。これがタイミング微妙に違ってくる原因になっている。ワンセグで見てたりしたらさらに遅延したり。これ意外にアナログ時代は無かったことです。あとは、Twitter側が、あえて処理遅延などの流量規制をうまくかけていたことも考えられます。

そういう様々な背景の結果として、今回は前回を超えられなかった、という流れだと思いますが、気になっているのが、この「バルス離れ」のトーンですね。

別にみんな「バルス」ってTweetするために「天空の城ラピュタ」見てるわけじゃなくて、ラピュタ見てて盛り上がって、「バルス」に繋がってるわけですよね。つまり、バルスなんて、楽しみ方の一つでしかない。それを、「バルス」とつぶやくことが絶対の楽しみ方のように見せてしまった今回の環境は、個人的には、メディアがコンテンツをダメにする王道パターンではないかと感じています。

コンテンツがダメになるきっかけってのはいくつかあります。作風等、そもそものコンテンツが変わってしまうことが一番顕著ですが、その中の一つに、「コンテンツの楽しみ方を強要される」という要素があると感じています。

具体的な例として何があったか、と言われるとちょっとピンと来なかったりするんですが、逆に、楽しみ方をあえて強要せずに成功しているコンテンツは少なく無いと思います。実は「艦これ」とか、息の長いゲームの共通点の一つではないかと思っています。今回、ラピュタとバルスがここまで明示的に紐付けられてしまったことは、バルスどころか、「天空の城ラピュタ」という主コンテンツ自体の魅力すら低減させる危険な状況なんじゃないかな、と。

メディアや企業って、どうしても、こういう一つの楽しみ方や結果としての事象にフォーカスして、元となっているコンテンツまでダメにしてしまうケースがあるような気がします。昔あった印象的なシーンとしては、ワールドカップバレーの応援とか、あと最近でも良くありますけど、Youtubeで話題の動画を取り上げる番組とか・・・。そういう流れに乗らないで欲しいなぁ、と切に願います。

どういうことか、というと。

私も「バルス」って呟きましたさ。でもね、ラピュタ見てたし、最後、EDまで見終わったあと、ラピュタのサントラ聞いて悦に浸ったりして、余韻を楽しんだりして、そういう、世界観まで含めたなかの、一つの事象でしかないのになぁ、と、思うのですがね。

コンテンツに敬意と感謝があれば、こんな扱い方はしないと思うんですが。

 

コメント

タイトルとURLをコピーしました